親愛なる皆様へ。この度、無事日本へ帰国しました。皆様の沢山の支えがあり、人生の大きな波を乗り越える事が出来ました。皆様に奇跡を起こしていただきました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
これからなのですが、移植してから 1 年間がとても重要で、この間に大きな感染症や拒絶反応が出なければ長生き出来るそうです。本当に元気になるまでは 3 年はかかります。だけど、移植前よりももの凄く元気になるそうです。
渡米直後に胆管炎を起こし、高熱でうなされた事。言葉の壁や文化の違い。幸いにもドナーは奇跡的にすぐに見つかり、移植手術は早くできたものの、その後、拒絶反応、合併症、感染症、全てにかかり、
一時命を失いかけました。気管にチューブが入り息が出来なくて辛かった事。痛み、痒み、薬の副作用による錯乱、泣いて、怒って、辛い日々。
それでも妻がずっとついてて支えてくれ、ナースや医師が冗談を言ってくれたり、患者同士で「調子どう?」みたいな話をしたりと、楽しい事もありました。まさに一喜一憂、生きる喜び、死の恐怖、家族
友人の大切さをひしひしと感じた日々でした。
移植が出来るまでの道のりや、移植してからの自分自身についても沢山考えました。皆さんの大いなる
愛を受け取り、感じ、考える。頂いた命、これからの僕は、自分はどうして行くべきか?そして自分以
外の人に何をして行くのか?自分の為、人の為になる本当の意味ってどういう事か?これからの人生
を、心の思うままに、僕なりの言葉や行動で、それを実行したいと思っています。活動もして行きたい
と考えています。
医療体制についても、沢山体験出来ました。術後の状態は決して良い方ではありませんでしたが、アメ
リカの医療体制の良さに、安心して医療を受けられました。仮にもし日本で受けていたとしても、大変
だったんじゃないか、と思うくらい、辛い状況の中でもアメリカの医療の素晴らしさを感じ取れました。
この医療を受けられた事も、ひとえに、皆様のご協力があっての事です。本当にありがとうございまし
た。この経験を活かして、今後同じ状況で病気で辛い思いをしている人達に、少しでも日本の医療体制
を良くしていけるような、働きや活動もして行きたいと考えています。
また、まだ先になりますが、少しづつ仕事や活動も再開していく事になるかと思います。至らないとこ
も多々あるかと思いますが、どうか暖かく見守って頂けたらと思います。皆様に救っていただいた命、
無駄にしないで生きていきたいと思っています。
肝臓移植をして大変な経験をしましたが、僕は日本一幸せな人間です。まだ油断してはいけませんが、
こうして日本の土地を踏めた事を噛み締めています。
本当にありがとうございました。
9月中旬に帰国し、アメリカの病院と連携して、今は東京慈恵会医科大学附属病院で経過をみてもらっています。週に1回の検査結果で薬を増やしたり減らしたりしながら細かく調整しています。
少しずつ順調に正常値に向かっていた検査結果でしたが、帰国してすぐの検査で数値が上がってしまいとても不安になる様な事もありました。 昨日の検査では、正常値までまだまだですが悪くはなってないので合格の
範囲内でしょうと、医師からお言葉を頂き安心しました。
移植して最初の数年は、薬の影響で免疫力が低く、いつ何が起きてもおかしくない状態らしいので、少
しの変化にも気づける様に慎重に生活をしています。調子がいい時は、友人に会ったり、体力をつける
為に散歩をしたり、栄養素を考えて料理を作ったりしています。しかし、術後半年になる今でも少しの
外出で疲れて動けなくなったり、眠ってしまったりする時もあるので大きな手術だったんだなと改めて
感じる事もあります。電車や人混み、空気の悪いところを避ける、食べる物も注意して選ばなければな
らないなど制限もありますが、移植前に比べるとこの様な生活は本当夢の様です。
朝ベットから起き上がれる事、向かい合って同じ物が食べられる事、未来の話が出来て笑いあえる事。
当たり前の生活ができている今がとても幸せです。ご支援ご協力頂いた皆様、ドナーの方のおかげです
。ありがとうございます。この感謝を忘れる事なく、まずは1年。そして、3年、5年、10年、20
年。。。と迎えられる様に頑張ります。
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38歳、彼は「余命2年」と告げられました。
私達の大切な友人、好昭さんは22歳で突然肝炎を患いました。
はじめは重病とは気づきませんでした。病気と共存しながらも仕事に励み、
映像作家として「日本の映像作家100人」にも
選ばれるほど活躍をし、
私生活でも愛する女性に巡り会いました。
結婚からわずか5ヶ月、彼は、体調の悪化で診察を受けた医師から
難病「原発性硬化性胆管炎」「自己免疫性肝炎」を併発し余命を告げられたのです。
死を覚悟し「愛しているから、別れよう」と決心した好昭さんに、
妻、明子さんは応えました。 「愛しているから、別れない」。
二人の闘いの日々が始まりました。
東京で、故郷石川で、毎日、死の恐怖に震えながら懸命に治療を続けました。
しかし、2015年秋、とうとう肝性脳症を引き起こし倒れてしまいした。
そして慈恵医大の主治医から、残された治療法は肝移植しかない事を告げられます。
しかも日本での移植はほぼ不可能、残された可能性は海外での移植しかありません。
それには莫大な費用がかかります。若い二人がどんなに掻き集めてもたりません。
友人である私達も、みなさまの温かなお気持ちに、すがることしか出来ないのです。
苦しみながら周囲に見せる彼の笑顔を消さないで下さい。
どうか、彼の未来を助けてください。
僕の身体がこうなって、15年ほど経ちました。
今ではもう、身体が病気の影響でダルいとか、疲れ易いとかも分からなくなるくらいこの病気と付き合ってきた気がします。
幸いにも僕は、妻や沢山の友人に支えられ、募金を募る体制が整い、病院の助けもあって、アメリカでの臓器移植を受けるという手前までなんとか辿り着くことができました。
辛いことが沢山ありました。38歳、人生の最も勢いのあるこの時に、自分のやりたい事が全くできない苛立ちや悔しさ。
僕にはまだまだやりたい事が沢山あります。仲間と共に世界中様々な人々と一緒に、映像を通してふれあう事、考える事。世界中に影響を与える仕事に携わる事。
それだけではありません。家族のような沢山の友人と幸せを共有する事、そして、子供を作り、妻と共に幸せな家庭を築く事などなどまだまだやりたい事が沢山あるのです。
それを実現するには僕には臓器移植しか手段は残されていませんでした。
この病気になっていずれ回復する為の手段は臓器移植しかないとは聞いていましたが、自分の中でもそれをすんなりと受け容れるはなかなか難しく、自分にとっても現実感の乏しいものでした。ですが、次第に病状が悪化し余命を伝えられ、それが現実ものとして受け容れざるえなくなりました。
だから僕はやり残した事を夢のまま終わらせる事なく、それを現実のものとする為にも臓器移植をすることを決断したのです。
日本には僕と同じ病気や他にも様々な病気で苦しみ臓器移植を必要とする人達が沢山います。
そして日本でも臓器移植を受ける事は出来るのです。
そういう人々を救う為に、多くの関係する方々の努力や尽力のお陰で、日本の臓器移植の体制も近年ではどんどん整えられていっているそうです。
ですが多くの人を救う為にはまだ充分ではなく今後更なる改革や改善が必要とされていると思います。
日本の医療は日進月歩、もの凄い勢いで発展し、また、健康保険の制度もあり、全ての人が平等に医療が受けられていると思います。
臓器移植に関しても今よりもずっと多くの人が受けられずっと多くの命が助かる様な状況へと変わっていくでしょう。
ですが、僕にはそれを待っている時間はあまり残されていませんでした。
本当は日本で手術を受けたい。
ですがそれにはまだ時間のことや越えなければならないハードルがあります。
だから僕は渡米しての臓器移植を決断しました。
幸いにもこうして多くの支えとなってくれる妻や仲間が僕には沢山いました。
そのお陰でこうして手術を受ける為の募金活動をしてもらえ、僕自身もみんなと一緒になんとかこの難局を乗越えなければと力を振り絞っています。
お金のことや家族のこと、もちろん病気のこともあるので、それでもまだまだ不安は沢山残っていますが。
信頼する仲間、家族、そして支援してくれる皆さんに僕はすがるしかありません。
どうか、僕の命を救って下さい。
そして日本の臓器移植の体制や環境のより良い整備が進み多くの人々の命が助かる事を僕は心の底から望みます。
どうか関係者の方々へ、より臓器移植の手術が受け易い環境へとご尽力いただけるよう、皆様の更なるご活躍を切に願います。
SNSでの活動は終了いたしました。facebookやtwitterでの応援ありがとうございました。